例えば今日、

 

 

いってらっしゃいって言った
ただいま、おやすみを言った

 

 

その人の顔、思い出せますか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日わたしは
ナースとしてバタバタ働いていました
時間に余裕はほとんどありませんでした

 

 

 

そんな時おっとりした声で
「すみませーん」
と呼び止められました

 

 

「ちょっとお水ちょうだい」

 

 

そう言った彼女にわたしは
「はいはい、持ってきます」
と彼女のそばにあったコップを
手に取ってぱっと背を向けて
お水を取りに行きました

 

 

 

そのとき警報のアラームがなりました
それは彼女の心電図モニター

 

 

 

ふたたび振り返ると
致死的な不整脈に意識のない彼女

 

 

 

そこからはつきっきりになりました
けれど結局は帰らぬ人に、、、
彼女はとてもとてもがんばりました

 

 

もちろんリスクがあるから
私たちのところにいたのです
それでもいつもいつでも朗らかだった彼女

 

 

 

穏やかという言葉はきっと
この人のためにあるんだというくらい
それくらい笑顔に温もりのある人

 

 

 

最期の言葉をそのまま伝えると

 

 

「ありがとうございました」

 

 

ご家族は感謝を述べてくださり
彼女を連れて帰ってゆきました

 

 

 

私たちは車が見えなくなるまで
ただただ頭を下げ続けていました

 

 

 

 

ー*ー*ー*ー*ー

 

 

 

 

地面しか見えない視界の中で
溢れたのは何にも変えがたい悔しさ

 

 

 

あれほど穏やかだった
笑顔の素敵だった彼女の
最期の顔が思い出せないの

 

 

どんなんだったっけ
ちゃんと笑ってたっけ

 

 

あぁ、なんで見てなかった?

 

 

 

 

もしも笑っていたと
伝えることができたならば

 

 

ご家族は何かの折に
「彼女は最期まで笑っていたらしい」
そうほっこりと思い出として
何年後も話せたかもしれないのですよね

 

 

 

誰もわたしを責めることはない
何も悪いことはしていない
覚えていたとて何も変わらないかも

 

 

 

けれど、でもあのとき。

 

 

 

やっぱりそう思うのは
そう思ってしまうのは

 

 

 

きっと絶対笑っていたと思うから

 

 

 

これほどにまで時間を戻したいって
こう言うのをきっと
本当の後悔って言うんですね

 

 

 

倒れたコップの水は

もう二度と戻らないように

 

 

 

 

 

 

 

 

毎日同じ人の顔を見ていて

 

 

 

「あれ、今日はいいことあった?」
「ん?なんかちょっと元気ない」

 

 

 

何気ない会話をしながら
きちんと見ておくこと

 

 

 

そういう丁寧さが
とてもとても大切なことなのだと
そう思うのです

 

 

 

毎日見ていると変化に気付きにくい
それもとてもわかるけれど

 

 

 

毎日見ているからこその変化を知る
それは人にしか出来ない優しさだと思います

 

 

 

 

みんなには無理かもしれません
でもたった一人にだけでもそう関われると

 

 

 

彼女のような温もりを
生むのかもしれませんね

 

 

 

朗らかな笑顔の彼女に教えてもらったこと

 

 

 

 

あなたの大切な人は
今日どんな顔をしていましたか?

 

 

 

 

 

では